MICCS 公開講演会 レポート早尾貴紀公開講演会「パレスチナに埋もれた地層から環地中海世界へ、東アジアへ~『残余の声を聴く』(明石書店)を起点にして」に参加して

文:西藤陸(同志社大学社会学部社会学科)

2023.03.13 UP
© Fernando Lema. Taken on September 10, 2011 (No change has been made)

© Fernando Lema. Taken on September 10, 2011 (No change has been made)

Link to the original image

 2月15日に開催された本講演会に参加した。院生や研究者の参加者に囲まれ、私は参加者側にも関わらず緊張していたが、講演会が始まると早尾先生の穏やかかつ時に熱のある口調に惹き込まれた。本レポートは今回の講演会の主軸となる書籍『残余の声を聴く』(早尾貴紀・呉世宗・趙慶喜, 2021)を読んだ感想と、講演会の参加記である。
 まず、『残余の声を聴く』を拝読した私の感想を述べる。パレスチナ問題の参考文献を探す中で早尾先生の著書を紹介されていた私は、本著も前から手にしていた1冊だった。この本は、3人の著者が沖縄、韓国、パレスチナという各々のフィールドに対し、並行して同じテーマでの論考が展開されている。1冊の本の中で4度フィールドがローテーションするという面白い形式である。ガザ地区はパレスチナの辺境でありながら、イスラエルの軍事政策の最前線でもあるという構造は、韓国の離島でありながら、イエメン難民の受け入れ政策の最前線となっている済州島にもあてはめて考えられる、沖縄における米軍基地と暴力の問題は、国家間の不均衡な政治的、軍事的な関係性が生活の中に露出しているという点で、パレスチナ/イスラエルの抵抗と排除の歴史と共通していると、進み、戻りながら多角的に読むことができた。1つの問題に対し極端で一辺倒な言説がまかり通ってしまう中で、ほかの事例を知り比較して考えることの大切さを改めて実感した。BLM運動への共感が世界的に高まる中で、パレスチナ人への暴力に反対する声はなかなか主流化しない。イスラエルの人種差別と暴力を、Blackの歴史や「在日朝鮮人や沖縄やアイヌへの差別へと接続していることを見いだしつつ、すべてを連関させて批判する視点をもつこと。これしかないように思われる」という力強い主張に心を打たれた。
 次に講演会についてだ。『残余の声を聴く』を主軸とした理論的な部分への分析、批判はもちろんのこと、気鋭のアーティストによる作品の鑑賞や、早尾先生ご自身の体験をもとにしたエピソードトークがふんだんに盛り込まれ、1時間半の密度の濃いご講演であった。パレスチナの分断について芸術やマイノリティ、文学の視点から横断的に語る早尾先生からは、熱意と冷静さの両方が伝わってきた。特に印象的だったのは、著名な民族抵抗詩人であるサミーハ・アル=カーシムさんとの数奇な出会いについてだ。本には収められていない貴重な体験談を具体的に聞くことができた。早尾先生が実際に見聞きしたサミーハ家族の生活と抵抗の歴史から、分断の複雑さを知ることができた。加えて、パレスチナ研究やアラブ文学に関わる書籍が、早尾先生の解説とともに多数紹介されており大変参考になった。『パレスチナの民族浄化』(イラン・パぺ著, 田浪亜央江・早尾貴紀訳, 2017)は、即買いし読み進めている。
 講演後、『残余の声を聴く』I-3の末に触れられていた、ガザ地区から流出する若者とイスラエルの政策について質問した。まさに私が卒業論文で扱おうとしているテーマであった上に、なかなか文献が見つからないことが課題であった。早尾先生からは、反開発を後押しする封じ込め政策によってパレスチナ独自の発展が妨げられている現状などについて教えていただいた。また、「(インタビュー調査などをするうえで)なぜ離れたのか、どういう事情があったのかというところから掘起こしてほしい」というアドバイスをいただき、励みになった。早尾先生は後日、記事のURLと1本の論文をメールで送ってくださった。これらを通して、どういったキーワードが用いられ、パレスチナから人が離れている現象が語られているかを知ることができた。
 この講演会に参加して、パレスチナに関する調査をしていくことへの実感と責任感を得た。卒業論文を執筆していくことに意欲とともに不安感もあった私にとって、講演内容以上に多くを学ぶことができた機会となった。早尾先生の現地での経験を聞き、私も早く自分の足で現地に立って生の声を聴きたいと強く思った。